仕事の重圧に押しつぶされないために、評価を手放してみる
9月に入り、涼しい風が吹き始めた。季節の移ろいは感じるものの、自分の気持ちは重いまま。会社への足取りも変わらず重く、仕事に向けて気合を入れるほど、空回りしてしまう自分がいるのが分かる。
そんなある日の帰り道。家に向かう途中でふと「今日ってどんな日だったんだろう」と考えてみた。朝から忙しかったし、上司には少し厳しい言葉をかけられた。でもその一方で、同僚から「助かったよ」と感謝の言葉をかけられたこともあった。締め切りギリギリで提出した資料もなんとか間に合った。振り返ると、良いことも悪いことも混ざり合った1日だった。
それなのに、つい「今日はダメな日だった」と思い込んでしまう。1日の評価に、何か意味があるのだろうか。仕事がうまくいかないと「悪い日」、スムーズに進めば「良い日」。結局、その基準も曖昧なものに過ぎないのではないかと感じた。
だから、思い切って「いい日」「悪い日」という評価をやめることにした。評価しない。ただ「今日はこんな日だった」と受け止める。それだけで気持ちが少し軽くなった。どんな日も、良いことも悪いこともあったと曖昧に流す。それくらいが、今の自分にはちょうどいい。
それでも、仕事が思うようにいかない日はある。そのたびに「自分の能力が足りない」と考えてしまう。特に忙しいときは、自分を責める気持ちが強くなり、それを補おうと自己啓発の本を買ったり、仕事術の動画を見たりしてきた。
その行動自体は悪くないし、むしろ前向きだと思っていた。しかし、30を過ぎた頃から違和感を覚えるようになった。「これを続けていれば、いつか満足できる日が来るのか?」と。
どれだけ努力を重ねても、自分の中にある劣等感は消えない。それどころか「まだ足りない」「もっと何かを足さなければ」という気持ちばかりが大きくなっていった。果たして、心から「これでいい」と思える日は来るのだろうか。そんな不安が頭を離れなかった。
ある日、ふと思った。「能力を足すことばかり考えるのではなく、今ある能力をどう活かすかを考えるべきではないか」と。
それから、自分の状態を整えることに意識を向けるようになった。疲れているときには無理せず休む。デスク周りを整理して、集中できる環境を整える。分からないことは同僚に相談する。それまで一人で抱え込んでいた悩みを、少しずつ外に出していくようにした。
そんな小さな工夫を積み重ねていく中で、以前よりも自分の力を発揮できるようになった気がしている。もちろん、まだ完全に解決したわけではない。それでも、1日を評価しないことや、自分の能力を活かす工夫をすることで、心に少し余裕が生まれた。
最近、机の隅でホコリをかぶっていたキャンドルを久しぶりに手に取った。火を灯して、昔好きだった本を開き、ゆっくりと時間を過ごしている自分がいた。
キャンドルの炎が揺れるのを見つめながら思った。毎日が「良い日」でも「悪い日」でもなく、「いろいろあった日」として過ごせるだけで、心が少し軽くなるものなのだ、と。