写真と日記で自分を観察する1か月のすすめ
10月は妻の会社の人たちとホームパーティーをした。インド料理を作ったり、ピザパーティーをしたりと、自宅がいつも以上に賑やかな時間を過ごした。
みんなが食事を楽しみながら、おいしいと笑顔で喜んでくれる。その姿をキッチンから眺めていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。自宅のレイアウトが心地よいと話しながらゆったり過ごしてくれる様子や、息子が友達の子どもとおもちゃを交換し合って遊ぶ姿。そういった小さな光景のひとつひとつが、どこか満たされた気持ちを与えてくれる。
キャリアコンサルタントの更新講習では、普段接点のない人たちと数多く出会った。多様な価値観に触れるのは新鮮だったが、時に戸惑うこともある。好きだと感じる人もいれば、この人とは少し距離を置きたいと感じる人もいる。だが、どちらであっても新しい視点や気づきをもたらしてくれるのだと思う。正直、講習の質に差があり、「これはどうなのか」と思う内容もあったが、それすらも後から振り返ると面白い経験に変わるのだから不思議だ。
この10月、写真を撮ることがこれまで以上に楽しくなった。
自分が見たもの、感じたものを正確に記録したいという思いが強くなり、現像について少し学ぶようにもなった。ファインダーを通して自分の好きなものを見ている時間は、それだけで心がほぐれるような感覚がある。そして、その写真が未来の自分の支えになるかもしれないと思うと、より一層「これだ」と思える機材を揃えたくなるのだ。実際、ストレスが溜まったときには、過去に撮影した写真を見返して気持ちを落ち着けることが多い。そうした写真には、そのときの温度や感情が閉じ込められているからかもしれない。
この1か月で、自分がどんなことに心を動かされ、何に価値を感じるのかが、少しずつ見えてきたように思う。動物が好きなことを思い出し、ふと動物図鑑を買ったのもその一つだ。30年生きてきて、こんなにも自分の「好き」と「嫌い」に気づけた1か月は初めてだった気がする。だが、それは良い悪いではなく、ただの事実だ。僕が好きなものを嫌う人もいれば、僕が嫌いなものを好きだという人もいる。それでいいのだ。
9月に「評価しない」と決めたことも、こうした曖昧さを受け入れる助けになったのだと思う。一日の中には良いことも悪いこともあるし、人にも良い面と悪い面がある。それをどこに焦点を当てるかで、いい日か悪い日か、いい人か悪い人かが決まる。だからといって、「いいところを見よう」と無理に意識するのは僕にはできない。むしろ、考えすぎず、いいか悪いかを曖昧にしておくことが心地よい。その曖昧さが、感情を鈍らせるものではなく、むしろ感情に正直でいられる秘訣なのだと思う。
振り返ると、この10月は将来を意識した活動や勉強にはほとんど時間を割かなかった。貯金を増やすどころか、数十万円をカメラに使った。それでも、この1か月が自分にとって転機になるかもしれないと思えるほど、濃密な時間を過ごしたのだ。1か月という時間は短いようでいて、その過ごし方が人生全体に大きな影響を与えることは少ないのかもしれない。だからこそ、無駄に使ってもいいし、意識高く過ごしてもいい。ただ、ひとつ提案したいのは、自分自身を観察する1か月にしてみることだ。
何が好きで、何が嬉しくて、何が悲しくて、何が嫌なのか。そして何を美しいと感じるのか。それを見つけたら、日記や写真に閉じ込めてみるといい。うまく書こうとか、うまく撮ろうとか考えずに、その時の気持ちのままで。それがきっと、未来の自分にとって小さな贈り物になったらいいなと思う。